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第4話 話したいことがあります

 翌日、ジャルダン・デ・ヴァグ。

ここは森川晋太郎の個人宅だった。

時間は朝六時半頃だったが、入江紀美子は既に起床して晋太郎に朝食を用意していた。

彼女が晋太郎の愛人になった日から、ここに引っ越してきた。

それからは彼女一人で晋太郎の生活の世話をするようになった。

彼女は晋太郎の秘書、愛人、そして使用人でもあった。

男が起床した頃、朝食は既にテーブルの上に並んであった。

晋太郎がネクタイを締めながら階段を降りてくるのをみて、紀美子はすぐ出迎えにいった。

「私が締めて差し上げます、社長」

晋太郎は手の動きを止め、紀美子がネクタイを手に取り細心に整理し始めた。

紀美子は背が低くない。

170センチはある。

しかし晋太郎の前ではせいぜい彼の胸の高さだ。

晋太郎は目を垂らし、紀美子の体が発する香りを嗅いだ。

理由もなく、彼の体内には欲の火が灯された。

「社長、できました…」

紀美子が頭を上げた途端、後頭部が男の大きな手に押えられた。

彼の舌はミントの香りを帯びて蛇のように彼女の唇の間に侵入してきた。

別荘の中には急に曖昧な雰囲気が漂った。

二時間後。

黒色のメルセデス・マイバッハがMKビルの前に停まった。

運転手は恭順に車を降り、ドアを開けた。

数秒後、晋太郎は長い脚を動かし車から降りた。

オーダーメイドの黒いコートは彼の落ち着いた気質を限界まで引き出していた。

その強烈なオーラはまるで神の如く、周りの人はそのプレッシャーで逃げ出したくなるほどだ。

晋太郎は細長い指でネクタイを緩めながら、手に持っている資料を隣りの紀美子に渡した。

一瞬、奥行きの深い眼差しが少しだけ留まった。

晋太郎は紀美子の少し腫れた唇を長く見つめた。

そして彼はいきなり手を上げ、厚みのある指腹で彼女の口元を軽く擦った。

「口紅が少しはみ出ている」

と言いながら彼は親指ではみ出た口紅を拭きとった。

温もりのある微かな触感は紀美子の瞳を強く震わせた。

一瞬、彼女は朝彼にソファに押えられ必死に性行為を求められたシーンを思い出した。

晋太郎の眼底に映っている自分のとり乱れた姿をみて、紀美子は慌てて気持ちを整理した。

彼女は頭を下げ、「ご注意、ありがとうございます」

心臓がどんなに強く鼓動をしていても、彼女の声は落ち着いていた。

晋太郎は手を引き、口元を軽く上げ、すらっとした体を翻して迷わず会社の方へ歩き出した。

紀美子は浮かれた心の鼓動を抑え、タブレットパソコンを開き、素早く晋太郎に追いついて本日の業務の流れを報告し始めた。

「社長、後程会議がありますが…」

「森川社長!!」

紀美子の報告がまだ終わっていないが、一人の女性がいきなりこちらへ向って近づいてきた。

紀美子はたった一目でその女性のことを思い出した。

昨日人事部の事務所で暴れていた女だった。

何故また来た??

狛村静恵はいきなり晋太郎に押しかかってきて、白い肌の両手で彼の裾の角を握り締め、乞ってきた。

「あなたが森川社長ですね、分かります!お願いです、人事部に私を採用させてください!

私はどうしてもこのお仕事がほしいのです、どうかお手助けを!」

晋太郎の冷たい目線で彼女を睨み、強烈な反感を表わした。

彼は横にいるボディーガードたちにきつい目線を当て、低い声で「摘み出せ!」と命令した。

命令を受けたボディーガードたちは、すぐさま女の手を掴み、ビルの出口へ引っ張ろうとした。

しかし静恵は狂ったかのように渾身の力でボディーガードたちに抗った。

「引っ張んないでよ、社長に説明するから時間を頂戴!」「社長、お願いします、数分でいいですから!」

ボディーガードたちは晋太郎のイラつきに気づいたか、慌てて手の力を増した。

揉めていたうち、静恵の顔の両側に垂れていた髪が止まらず揺れていた。

日の光で、彼女の肌白い耳たぶにあるホクロが特段に目立っていた。

晋太郎は一目だけで視線が凝った。

彼はすぐにボディーガードたちに大きな声で「待て!」と命令した。

数人のボディーガードは手を止めた瞬間、静恵は晋太郎の前まで走ってきた。

彼女は極力体の震えを抑えた。

頭を上げた瞬間、瞳の中の涙が静かにこぼれ、「社長、私は狛村静恵と申します。

お話したいことがあります、お願いします」

晋太郎複雑な眼差しで女の耳たぶを見つめ、声もいつの間にか幾分優しくなり、「ついて来い」

「ありがとうございます。社長!」静恵は感動して感謝した。

晋太郎は紀美子に向って、「会議を先延ばししろ」と命じた。

紀美子は口を半開きにして、何かを言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。

晋太郎が女を連れて離れていく背中をみて、紀美子は苦笑いをしながら口を閉じた。

……

男の指示通りにしてから、紀美子は事務所に戻った。

席に着くや否や、彼女は急に強い眩暈に襲われた。

紀美子は慌てて隣のテーブルに手を付き体を支えた。

やっと体を安定させたら、耳元に静恵のきれいな音色の笑い声が聞こえてきた。

紀美子は一枚のガラスで隔てられた向こうの社長室を眺めた。

中にいる二人がどんな会話をしているかは分からない。

しかしその二人の楽しそうな表情からみれば、恐らくこの狛村は晋太郎がずっと探してきた人だった。

紀美子は心の嫉妬を抑え込み、自分を落ち着かせながらテーブルの前に戻り、無理やり元気を出して仕事を始めた。

午後、人事部が広報を配布した。

狛村静恵は服装デザイン部に採用され、副部長の職に着いたようだ。

そのメッセージを読み、紀美子は少し泣きそうな気分になった。

当初、彼女が順調に晋太郎の傍の首席秘書になれたのは、耳たぶにホクロがあったからだ。

今、彼が本当に探している人が現れたため、晋太郎はその人に良い待遇を与えるに間違いない。

そう考えているうちに、入り口からノックの音がした。「入江さん」

紀美子は眼底の辛さ隠し、パソコンの画面を消し、「どうぞ」と答えた。

ドアは開けられ、杉本肇は真顔で入ってきた。

「入江さん、社長から、今後は狛村副部長のことをよろしく、と」

紀美子は一瞬戸惑った。

服装デザイン部は彼女の所掌している部署ではなく、一度しか会っていないので、接すればいいか分からなかった。

黙っていた紀美子に、肇は「あと、狛村はまだ新人なので、あまり厳しくしないようにとデザイン部に伝えるよう、社長から指示がありました」と言った。

紀美子は太ももに置いていた手を握り締めた。

素早く視線を逸らしながら、「分かったわ」と何事もないような落ち着いた声で返事した。

肇が出た後、紀美子は両手で額を支え、落ち込んだ表情を隠そうとした。

晋太郎の挙動は彼女に明確に伝えているーー

彼が本当に探している人は見つかり、その人の身代わりである自分はそろそろ場所を空けなければならない、と。

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